torinikugobouのブログ

備忘録的に、ライトな日記綴り。

ひるね姫がすき

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観る前から観てる最中から鑑賞後まで思い出したり考えたり
もっと纏めてからと思っていたけどすでにスケジュールからこぼれ落ちた映画館が増えていたので取り急ぎの感想を。

グッズ買った。メカ絵柄の缶バッジと青い犬のマスコット。
ガチャもした。4回。
くじ(一番くじ)もした。ハンカチ(ミニタオル?)貰った。
映画館めぐりして、青い犬の大きなぬいぐるみもようやく買えた。どうしても欲しかったらしい。
パンフレットはもちろん買った。小説版は角川を。

ぐらいに、気に入った。そのうち倉敷まで景色を見に行くかもしれない。

映画に登場した、景色がすき。ひとがすき。話の流れがすき。
名前の付け方やそれぞれの立場、今を生きている状況。
そういうのがごった混ぜのようでいてきれいに繋がっていて予告やポスターで見た時の子供向け?ティーンエージャー向け?なんて感じた気持ちはきれいに裏切られた。こんな作品に出会えて嬉しい。

ネタバレなしで書くとこんな感じ?
タイトルからして自分の経験からかなり明後日の方向に意味合いをつけてしまって楽しくて仕方がない。
劇場では2回しか観てないけど、円盤出たらこれも買う予定。

ああ、その前にシン・ゴジラ買わな。メモ。

キングコングをもう一度観たい 髑髏島。

ここのところ、出先で時間の落とし穴を見つけては映画を検索する。
映画館での映画観賞は、のんびり座っていられて楽しい時間も過ごせるので休憩にはピッタリ。気分転換と隙間時間の活用に利用している。
ただ、あいた時間に当てはまるスケジュールの作品が、見たかった映画とは限らないけれど。

【最近見た作品】
モアナと伝説の海
シング
キングコング 髑髏島の巨神
パッセンジャー

興味を持っていたのはシングのみで、あとは気にしていなかった。でも、モアナは他D作品との対比が面白かったし、シングは即CDを買った。キングコングはわりとビビったし、パッセンジャーは無重力状態の表現に感心した。
どの作品も、いいなと思うところ疑問が残って気になるところがある。
ただその中でも再び観たい! と思ったのは断トツで「キングコング」だった。

ところで「だんとつ」という言葉は「断然トップ」の略であることを、初めて知った。検索したらそう出てきた。マジか。
「断突」で断然突出している様子を表した熟語と思っていたので、日本語と英語のミックスだったことに驚愕を隠しきれない。(゚Д゚)←こんな顔になった
閑話休題

キングコング:髑髏島の巨神
(原題 KONG:SKULL ISLAND)
PG12
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予備知識はほぼ無い状態で観た。初代の映画作品も未視聴。でも初代のイメージはおぼろげにある(ビルに登って手に女の人つかんでる構図)。
今回の作品に関しては、別映画上映時の予告ムービーとして3人の日本人が解説する映像を眺めたぐらいだ。

キングコング→でっかいゴリラ
スカルクローラー→トカゲ?

この2点。
誰が最も強いのかを語っていたので、(ジュラシックパーク系列のもうちょっと激しい感じかな)と思っていた。
間違いではない。間違いとは言い切れないんだけども。

なんか、それだけじゃなかった。どっちゃり。いろいろ詰め込んでる様子。深く考えずに「うわっ」とか「ふむふむ」とか見ているうちに予想されるであろうエンドへ向かうように思えたが、それで終わりじゃなかった。
「ちょっとビビったけど、気負い無く見れる感じ? こういう作品もいいな」とエンドロール眺めていたら、それに続く映像、内容に動揺した。
「うわあああー(゚Д゚)ソウイウコトカ!」
という動揺、それと興奮。
シン・ゴジラで叫びだした巨災対安田さんの「うわあああー(゚Д゚)」が脳内で展開しているような気持ち。もちろん叫んでたのは脳内で、実際は黙ってましたが。

それを踏まえて、また観たい。
できればIMAXで観てみたい~(・∀・)迫力凄そう!

ラ・ラ・ランドやり直し(内容あり注意)

先週2回目のラ・ラ・ランドを観て、
「えっ、ちょっ、1回目と全然違う」
と大変ショックを受けたのだが、ショックなまま放っておくのはセブに申し訳ないのでもうちょっと書き足すことにする。

ごめんセブ、私キミのことをモラハラDV野郎だと思っていたけれど、もしかして「とてつもなく自己評価の低い気の弱い人間」だったのかな。
ミアに言いがかりをつけてはいたけど、激しい怒りではなかった。
ハイウェイでの気の短さ(ミアの前はそんなに大きなスペースではなかったと思う)やしつこさ(何度も首を振る)は正直私も「失礼な男(というよりキモい男……)」と思ったが、2回目の出会いで肩をぶつけて無視した部分はそれほど暴力的ではなかった。
かなり、誇張して受け取っていた。申し訳ない。

じゃあ結局、今ではこのお話しをどう受け取っているのかということなんだけど。
高圧的な家族の存在で周囲は敵だと過剰に防衛しようとする人物が、自分を殺しすぎて大切な相手まで「自己評価最低ラインワールド」に巻き込もうとしたあげく「俺がいないほうが彼女のためだ」と勝手に離れていった話
かなぁ(´・ω・`)
それぞれの夢に全力を注ぐというのはわかるんだけど、それでふたり離れたから成功したとは納得しづらい(´・ω・`)
こういう男の人いるよねあるある、みたいに見てたらいいんだろうか(´・ω・`)

以上でした。
いい加減パンフレット買って解説読もうと思います。

再度観た ラ・ラ・ランド

パンフレット買おうかと、もう一度映画館にきた。
再度「ラ・ラ・ランド」を鑑賞。

記憶違い多すぎ(ノД`)

セブの振る舞いとかミアの表情とか
えらい集中して観たつもりだったのにどういうことコレ

ショックのあまり、パンフレットまた買ってない。
あ”ーー_| ̄|○

ミアのこと(ラ・ラ・ランド)(内容あり注意)

ラ・ラ・ランドを観て考えたことは前回書いたとおりなんですが、まだ考えていたのでつらつら書いておこうと思う。

例によって例のごとく、内容に触れるのでご注意ください。

そしてやはり、「こう受け取ることが自分には必要だった」であり、批評や解説ではありません。

見間違い記憶違いあるかも。

(前回の記事)

torinikugobou.hatenablog.com

 

ミアのこと


セブについては、前回あちこちの場面で判断と行動が描かれていたことピックアップしたけれど、では、ミアはどうなのか。
彼女についても、どんな性質を持つ人間なのかいくつもの場面で提示されているように見えた。

結論から言うとミアは、「相手に敬意を払い相手を尊重するやさしさを持っている。優柔不断に見えるが、実際は自分を曲げずきっちりかたを付ける人物」。

①女の友達とのミア
いったん断ったパーティー。しかし、何度も誘われた結果自分の予定より友人とのパーティー出席を選んだ。誘われると断り切れない弱さがあるように見える場面。
②初対面の男性とのミア
パーティ中に話しかけられた脚本家からなかなか逃れられない。あきらかに自分は「相手にしたくない」と思っているのに話を打ち切り離れることができない。
③1ヶ月つきあった男性とのミア
セブとの会話からすると、ミアは積極的に相手の男性に好意を持っているわけではなかった。とりあえず、なんとなく、交際していた。

①から③だけを見ると、「ミアは優柔不断で、誘われると断り切れない人間」としたくなる。
しかし、それぞれを深く読み取ろうとするならば、「彼女は自分も大切にするけれど、まずは相手を受け入れることを優先する。しかし結果を他人のせいにして責め立てることは、しない。すべて自分の判断、自分の行動の結果と納得し、対処する人間」だと思える。

①では、着替えて現れた姿がノリノリであることから、「いやいや友達につきあって」いるわけではないことがわかる。普通に、自分の意志。オーディションに落ちた気持ちの切り替えにはいいやね。
②では、女優志望という観点から「脚本家」という立場にある人間を無下にできない部分もあるかと思うし、下手に対処すると激高した男性による暴力や犯罪につながるという可能性を視野に入れているのかもしれない。でも一番高い可能性は、セブを待っていたからその場を離れられなかったという理由。なぜなら、女友達に紹介された脚本家とその場では多少言葉を交わしたが、パーティーの最中はほぼフリー状態でいたからだ。一日中「脚本家」から逃げられなかったわけではない。つまり、その場にいたのは彼女の意志。
③では、男女の付き合い方によると思う。フリーであるとき、知人から「交際相手にどうか」と紹介されたら、しばらく付き合うことは普通にある。「お互いを知るために」というものだ。「お見合い」を例にあげるまでもなく、数回会って、それからどうするか決めるというシステム。1ヶ月しか経過していないのだから、常識の範囲内といえる。しかも、交際を続けることは無理だと判断がついた時点で謝罪し、離れている(タイミングはひどいが)。

つまり、彼女は優柔不断ではない。忍耐強く、優しいが、自分をしっかり認識している人物だ。

しかしセブは、ミアを表面的にしか見ていなかったのではないか。
ハイウェイでの失礼な態度、レストランでの暴力、それでもなお自分の前に現れかかわってくるなんて、「どれだけひどい目にあっても自分から離れずついてきてくれる
女性」というように。
そして、①から③を表面的に見れば彼女は「優柔不断で自分のことを自分で決められない弱い人間」と受け取れる。
実際、②で困っているミアを、セブは助けることができた(と、セブは思っている)。
あらゆるものから否定されているように感じているセブにとって、自分が御することのできる存在は、何より欲しいものだったのではないか。無意識のうちに、自尊心を保つための存在として。
セブが、パーティー会場目の前にある自分の車を通り過ぎてミアをずっと送って行ったのは、それまでの「お前ら全員敵だ」という感覚から「彼女は僕を傷つけない(頼ってくれる!)」という認識の移行があったからだと思える。

ミアは、とりあえず、相手を受け入れる人間だ。だから、セブのような「慢性的に他人に否定される人生」を送ってきた人間は彼女を特別に感じた。
話を聞いてもらえる。自分を肯定してもらえる。何かすれば喜んでもらえる。

しかし、彼女は自分を犠牲にする人間ではない。セブの要求が「理不尽な言葉の暴力の受け入れ」として表現されたとき、ミアはすべてをおしまいにした。
その後、セブを責めるシーンはひとつもない。気遣い、説明し、それでも攻撃を受け続けたから去った。それだけだ。
すべてを他者のせいにして怒りをぶつけるセブとは、根本的に思考・行動が異なる。

自分に責任を持つミアと、自分の責任から目を背けるセブ。
でも、それじゃ、どうしてミアはセブに惹かれたんだろう。

というと、ひとつしか見当たらない。
レストランでの演奏だ。
あれは、イヤイヤ弾いていたクリスマスソングではない。彼の、持てる感性と技術をぶつけた彼自身のすべてだった。
「芸術家と、その作品」。
ミアは、ジャズが嫌いだと言っていた。でも、魂をこめた作品とそれを生み出すアーティストがその他とは別物であることを判別できるだけの、感性を持っていた。ジャンルがどうこうという話ではない。
彼女は、彼自身の魂に惚れたのだと思う。

ああ、それじゃあ。
彼女がセブから離れたのは、「セブの魂の仕事」から「セブが逃げ続けた」からかもしれない。
逃げる理由に彼女の思っていないことをでっちあげて。

彼女は、彼を受け入れた。本当の彼を受け入れていたから、偽物になろうとする彼から離れた。
本当の彼が望むことを、望むように動けるために。

 


a-ha - Take On Me (Official Video)

 


A Flock Of Seagulls - I Ran (So Far Away) [1982]