何かを書くこと
今週のお題「私がブログを書く理由」
昨年、手帳を買ったんです。わりとずっしりくる感触で、万年筆でさらさら~と書いたら楽しそうなやつ。
3か月ぐらい書いて、放置となりました。
自分の中の整理としては良かったし、こまごまとしたチケットやショップカードなど貼り付けて満足していたんですが
なんか
無理やり書いている感がふくらんできたんです。
誰かに見せるわけじゃないので、細かに「どこへ行った」「何を見つけた」「うれしかった」「おいしかった」という個人情報満載の日記や
「これはこうだった」「こう思った」「結果こうなった」という具体的な出来事の分析や心情の吐露など
見返して楽しかったり認識をあらたにしたりのツールではありました。
絵を描いたりね。
なんとなく、充実している気分。
が、そのうちに、書いていても愉しくなくなってきました。
うれしいことがあって、書いても。考えをまとめたくて書いても。
たのしくない。
「ああ、私は、無理をしている」
そう感じてやめました。
せっかく用意した手帳、埋めたいじゃないですか。文字とか絵とか切符とかそういう思い出で。
「だから~しなきゃ」「するべき」
そんなオバケがとりつきました。とりついた瞬間から、楽しさは消えてしまう。
あとで、たのしくないのに書いた何ページかを見直しても、何も、感じなかった。
書きたくて書いた部分や残したい!と思ったページは、すごく共感(自分に!)するし、その日の出来事が浮かんで楽しい気持ちになるのに。
それで、手帳の日記(や、何かについての考察・記録)はやめました。
が
日々、何かしら行動して生きているわけですよ。
本を読んで「これおもしろい! なるほど~……」と、思うだけ
映画を観て「構成がいいなあ納得だわステキ……」と、思うだけ
出先で起きたアレコレも、部屋でひっそり思考をめぐらすことも、ただそれだけ
なんか、もったいないなあ。
しまいこむの、つまらないなあ。
と、何かに残したい病(たぶん病だと思う)が再びむくむくと。
結果、気楽に書き残せるブログを書いています。
思考を言葉にして文章にするという作業が、好きなんですね、たぶん。
書いているうちに、出来事に対してもっと考えたり深く感じたり、できるような気がする。
何かを書くことが、自分という個体を認識するのに一番楽しい手段、そんなふうに思っています。
できるだけ、楽しみ続けたい。
だから
「ねばねば」の義務オバケが顔をのぞかせたら、ぱたっと書く手を止めて
じっくり様子を伺い待ちます。
「したい考えたい」の書きたい病オバケに変身してくれるその時を。