torinikugobouのブログ

備忘録的に、ライトな日記綴り。

字幕と吹き替えを見て気が付いたこと(アベンジャーズエンドゲームの内容一部アリ)

先日、アベンジャーズエンドゲームを再び観た。

今回は4DX3Dだったので、自動的に吹き替えでの鑑賞。それで、冒頭で気付いたことその他を記録。

映画アベンジャーズのインフィニティ・ウォー、そしてエンドゲームの内容に触れています。

 

(個人的に「そ、ソウダッタノカー(゜o゜)」と思ったことですが、他の方々には「あったりまえー(*´▽`*)」なことかもしれません)

 

というわけで、字幕版を観た後で吹き替え版を観て気が付いたこと。

映画冒頭の、ホークアイが娘のライラに弓指南・他の家族もなごやかに過ごした直後家族消滅シーンでの出来事です。

 

「あれ? ホークアイが振り返ったとき、塵が舞っている…(゜o゜)」

つまり私には、初見では見えていないものがあったという事実です。

ビックリしました(´・ω・`)

 

初見時に思ったことは

「自分以外の家族が消えてしまったんだ。そうだ、戦いから離れていたホークアイは何が起きているか知らないんだよね、知らないままに家族が消えてしまった。消えたという認識もまだできてない。呼ぶよね、探すよね、そういう行動になるよね、無力なひとりの人としてさまよい動揺するホークアイに涙が禁じ得ない」

初見後に思ったことは

「しかしインフィニティ・ウォーで人類の半分を消したサノスの行動、あれ家族の中で半分が消えるのかと思ったけどそうではないんだ。家族単位で消えちゃうんだ。ホークアイはヒーロー枠での抽選で残ったのかな」

 

と、こんな感じでした。

特に、物語上支障がない程度には画面が見えているはず。

ところが、吹き替え版でようやく気付いた「塵」のエフェクト。いやいや、まったく気づいていなかったよ、ライラが消えていく際の塵だよね、これもうちょっと早く振り返っていたら何が起きたかホークアイが認識できたかもしれない後悔の内容も少しは変わったかもしれないそのぎりぎりラインの表現見落とすなんてどうして。

 

どうしてもこうしても、今回の原因はひとつしか思い浮かびません。

Q.塵を見落としたのはどうしてか

A.字幕を読んでいたから

 

塵のエフェクトは画面の半分より上だったと思うんですが、字幕は当然最下段。

画面全体を観ているつもりでも字幕表示を読み取ることを最重要事項として処理を行う脳内では、消えかかった塵の姿をなかったものとして扱ってしまった。

よく、

「右目と左目では見えている映像が異なるのでそれらを合成して目の前のものを認識する」

とか

「部分的に見えない場合でも脳内で勝手に補足して見えているように認識してしまう」

という話や実験がありますが、もしかしてこれもその一種なのではと。

 

字幕を読んでいたから、見えていない。字幕を読んでいたから、画像を脳内補足して別の表現だと受け取ってしまう。

 

それらが、私の映画鑑賞中には起きているらしい。かなり衝撃を受けました。

 

ここまで書くと字幕だけが原因のように見えますが、これは字幕に限った話ではなくて(´・ω・`)

これまで私が観てきた映画体験では、2度目の鑑賞で「あれ、なんか1回目とずいぶん印象が違う」と首をひねることがありました。洋画邦画を問わず。

「1度目に観たときより、いいじゃんいいじゃん!」の場合も、「あれ、もっと素敵な表現・素敵な演技と思っていたのだけど」の場合も。

視線の先が違うから、見えていない場所がある。見ているつもりで、脳内補完された別の事象になってしまっている。

 

「見えていると思っているのに見えていない現象」が私の映画鑑賞時に起きていることを認識した、エンドゲーム鑑賞でした。

 

なお、出演者の声をそのまま聞きたいので字幕版を選ぶことが多いのですが、吹き替え版はストレスフリーでそちらもとても良かったです。